婁正綱(ろうせいこう・ロウセイコウ) Lou Zhenggang

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特別対談 婁正綱×千足伸行(広島県立美術館館長)
真のアーティストとして在り続けるために

月刊美術 2019年10月号「婁正綱 この世に存在する意味を求めて」より

《untiled》 キャンバス、油彩 100F 2018年

《untiled》 キャンバス、油彩 60S 2018年

中国でかつて「天才少女」と呼ばれた書画家・婁正綱が再び脚光を浴びようとしている。幼少の頃から書の世界で認められ、「智力超常児童」として北京で英才教育を受けた作家は、33年前、二十歳の時に来日。以後、東京、ニューヨーク、北京などを行き来しながら、書と絵画の分野で地道な活動を続けてきた。そして、この10月、「今、世界で評価され続けているアジア人作家」と題した展覧会(軽井沢ニューアートミュージアム)で近作を一堂に展示。今井俊満、草間彌生、堂本尚郎といった国際的な評価を受ける現代美術の作家たちとともに、その現在が紹介される。その来し方と現在を、美術評論家の千足伸行が尋ねる

「天才少女」と呼ばれた子供時代

千足
婁さんは黒竜江省(中国)のご出身とのことですが、日本には何年にいらしたのですか?
1986年、二十歳の時でした。来日してからもう33年になりますが、途中、ニューヨークで暮らしたことが何年かあります。
千足
中国から外国へ出られる方は多いと聞きますが、なぜ日本を選ばれたのでしょうか?

《untiled》 キャンバス、油彩 100F 2018年

《untiled》 キャンバス、油彩 100F 2018年

栄宝斎という三百年以上続く老舗の画材店があるのですが、十代の頃、そこで書の実演をして日本から書道の代表団として中国にいらした方にほめてもらったことがありました。その後、色々あったのですが、その時の印象が決め手になった気がします。もしも外国に行くなら、一番初めに、純粋に自分の才能を認めてくれた国に行こうと…。
千足
婁さんの絵や書に関する才能にいち早く気づいたのは、書家だったお父様だとお聞きしました。
そうですね。中国には、縁起のいい言葉を赤い紙に書いて玄関に貼る「春聯」という風習があるのですが、私が書いた春聯を父が認めてくれたことがきっかけでした。父の指導はとても厳しく、炭鉱の宣伝部に勤めていた父が集めてきた古新聞に夜遅くまで練習させられました。その後、12歳のときに黒竜江省主催の書画篆刻展に出品した楷書が話題になったり、中国中の有名な書家を訪問して、指導を仰ぐ巡業の旅を父としたりもしました。子供の頃はよく実演をして、人前で腕前を披露させられていました。本当に色々な場所で…。
千足
文化大革命の直後、中国では特殊な才能を持った子供に英才教育をする国家事業を行ったそうですね。
「智力超常児童」というのですが、子供の頃から書が得意だったのと、記憶力がとても良かったので、何人かの後見人がついて中央美術学院※に特別に入学を許されました。ちょうど文化大革命が終わりかけていた頃で、熱心に勉強をする子供が少ない時代でした。今は皆が勉強するようになったので、「天才少女」とは呼ばれないと思いますけど(笑)。
千足
その頃はすでに有名人だったとか…。
当時、コンクリートに水で書く練習をしていたのですが、中国の書の歴史上、そんなことをしたのは私が初めてでしたので、色々なマスコミから取材されたり、その練習法が教科書に載ったこともありました。ただ、その後、後見人だった官僚たちの権力闘争に巻き込まれ、とても苦労したことがありましたけど…。
千足
まさに中国の激動の時代を生き抜かれたわけですね。ところで、いつ頃からアーティストとしてやっていこうと考え始めたのでしょうか?
「いつから」というのは分かりません。書や絵は子供の頃からずっとやり続けていることで、評価を受けようが受けまいが、一生続けていくものだと考えていますので…。
千足
どんなに有名な画家でも、若い頃は先人の仕事に影響を受けるものだと思いますが、婁さんの場合はどうだったのでしょうか?
私が生まれたのは、中国の最北部にあるとても寒い炭鉱の村でしたし、当時はまともな画集ひとつ手に入れられない時代でした。とても小さな家のとても小さな部屋で書き続けるのですが、色の記憶と言えば、窓から見えた一本の果樹くらい。あとは、黒い土と石炭と雪だけ…。ですから、目にするものすべてが教科書だったと思いますね。

1986年に二十歳で来日し、翌年日本における初個展を開催。98年には「正綱芸術教育発展基金」を中国に設立し、母国の芸術の発展に尽くすことに。かつては、中国と日本の間で、政治的な思惑に翻弄されたこともあったというが、東京、ニューヨーク、そして爆発的な発展と変貌を遂げる北京を行き来しながら、真のアーティストとしての在り方を模索していく。

伊豆のアトリエでの制作

千足
伊豆のアトリエで制作されているとのことですが、海があっていいですね。
そうですね。色々大変なことがあっても、広い海を見ていると励まされる気がします。
千足
具体的な風景を描かれているわけではないと思いますが、やはり豊かな自然が周囲にあると違うのでしょうね。実際の制作はどういった感じなのでしょうか? 中にはサラリーマンのようにきっちりと時間を決めて制作する作家もいますが…。
制作するのは大体夜中ですね。昔はテレビドラマが好きで、夜の9時から10時までドラマを見て、その後、朝まで制作するような日々でした。今は趣味も楽しみもなくなりましたし、人に会いたいとも思いませんし、画室に閉じこもって、睡眠と食事の時間以外はほとんどキャンバスに向かっています。去年からほとんど休みなしですね。
千足
それは凄いですね。何か具体的な展覧会に向けて制作しているのですか?
10月に軽井沢の美術館で展覧会をしますが、そのために制作してきたわけではありません。50歳を過ぎて、自分の中の意識が変わったのだと思いますが、自分がすべきことは「ただ、描き続けること」だと感じています。まだ大きな作品を描ける体力がありますし、作品のテーマに関しても、迷いがなくなりました。「残された時間をすべて制作に使いたい」。最近はそう思うようになっています。

《untiled》 キャンバス、油彩 145.5×436.5cm(80S×3) 2018年

《untiled》 キャンバス、油彩 145.5×436.5cm(80S×3) 2018年

千足
なぜ、そう感じるようになったのだと思いますか?
なぜ、自分はこの世に存在するのか? いくら考えても答えが見つからないのですが、絵を続ければその答えが自然に分かってくるかもしれない。だから描き続けているのかもしれません。
千足
誰かに認められたいとか、お金持ちになりたいという野望はない?
それはありませんね。そういったものは若い頃充分に手にしましたし、子供の頃から50年も続けてきていることですので、「自分がこの世に存在する意味」を確かめるほうが大事ですね。きちんと生きて、絵が描ける。それ以上に望むことはありません。そのことは神様に感謝しています。

「心」を生涯のテーマに

千足
婁さんは書家であり、画家でもあるということですが、絵と書はどのような違いがあるのでしょうか?
私の中では、書の方が難しいですね。絵はその時の気持ちを素直に表現すればいいと思いますが、書は人生を賭けて創作するものという意識があります。
千足
心の変化に応じて絵も変わるということですね。逆に言うと、過去の絵画を見れば、その時の気持ちが思い出せるということでしょうか?
そうですね。人生や運命が大きく変わる時に、必ず作風も変わっています。
千足
近年の作品はアクリルを用いた抽象画ですが、婁さんの作品を見ていて感じるのは、宇宙の星雲とか、あるいは「創世記」に出てくるような混沌とした世界のエネルギーです。こういった力強い作品は、制作者本人が心身ともに力強くないと描けないと思います。
有難うございます。大きい作品が描けるというのは自分の特徴のひとつだと思いますので、そう言っていただけるととても嬉しいです。
千足
「墨に五彩あり」という言葉がありますが、婁さんもモノトーンの作品の中に色を意識されているのでしょうか?
そうですね。色はもちろん意識しますし、「飛白」という概念も自分の中に自然とあるものだと思います。
千足
抽象絵画と言っていいと思いますが、初めから完成のイメージが頭の中にできあがっているのでしょうか? それとも描きながら変化していくのですか?
白い紙やキャンバスを見つめると、ここに何を描くべきかが心の中に浮かんできます。ただ、必然性による部分と、偶然性による部分があるので、同じ絵は二度と描けません。同じものを二度と描きたいとも思いませんが(笑)。
千足
「文は人なり」とか「書は人なり」という言葉があります。つまり人間の心が作品に表れるということだと思いますが、婁さんの作品もまさに婁さんそのものだということが、今日実際にお会いして実感できた気がします。「天才少女」と呼ばれた子供時代から、現在の制作までお聞きすることができましたが、まだまだ全貌を知るには至っておりませんので、これからも婁さんの御仕事に注目したいと思います。今日は有難うございました。
こちらこそ、有難うございました。50年も続けてきましたが、まだまだ描き続けていこうと思いますので、よろしくお願いします。

※中央美術学院:中国国内で最も権威のある有名美術大学

ロウ・セイコウ

ロウ・セイコウ

1966年中国・黒竜江省生まれ。77年中国政府より「智力超常児童」に認定、中央美術学院で教育を受ける。北京大学中退。86年来日。87年日本における初個展(東京八重洲画廊)。93年渡米、ユニセフに作品22点の著作権を寄付。96年ニューヨークで新作展を開催。98年中国政府と共同で正綱芸術教育発展基金を設立、99年同基金で正綱芸術実験学校が開設。2007年中国国家博物館に現代アートでは初めて34作品が収蔵。上野の森美術館にて個展。12年北京・今日美術館にて個展。16年オマーン国王の招待により「婁正綱展」を開催(ROYAL OPERA HOUSE/MUSCAT)

せんぞく・のぶゆき

せんぞく・のぶゆき

1940年生まれ。64年東京大学文学部卒業後、国立西洋美術館に勤務。
70年ミュンヘン大学に留学。帰国後、国立西洋美術館主任研究官、成城大学文芸学部教授を歴任し、数多くの展覧会を監修。
現在、成城大学名誉教授、広島県立美術館館長。

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