2009年12月号「婁正綱2010 日月之心図録」より
Sun & Moon 2010(3作品)
書道は中国特有の気高く高尚な芸術であり、世界の芸苑においても独特な、一線を画す存在である。古来より中国では、書画同源として考えられてきた。古人曰く「画道は書に通じ、書道は画に通ず。道は違えど帰る場所は共にあり、書画は良く似た芸術である」。所謂同源とは、筆と墨においても同様である。筆と墨は中国人の大いなる創造であり、中国の伝統絵画の重要な要素でもある。書道はその筆と墨を通じた、「線」の自由且つ無限の変化であり、作者の芸術的才気や文化精神を十分に体現するものであるばかりでなく、古来より中国最高峰の造形芸術を築き上げてきた。
婁正網は3歳より書画を学び、13歳でその名が知られ、15歳から国内外で数多くの個展を成功させてきた。その名声は遠く伝わり、評判は世界の五大陸に響き渡った。1986年より婁正網は、東は日本へと渡り、欧米を旅して見聞を広め、西洋の様々な流派の絵画作品を鑑賞した。また、中国と西洋の絵画の伝統や現状に関して、深く切り込んだ比較や研究を行う機会にも恵まれた。めまぐるしく変化する所謂国際現代アートを目の当たりにした彼女は、伝統のみにこだわることも無く、浅薄に外国の芸術を崇拝することも無く、また俗化することも上辺に惑わされることも無かった。
彼女はその心深くに時代の芸術精神の真諦を掴み、今を取り入れ古きを汲み、中国と西洋の芸術を少しずつ取り入れて、うねりを見極め、流れを作り出した。その視野は広く、高くを見据えている。芸術家の使命感が彼女に、伝統を引き継いだ上で、変化と新しさを求める勇気と力を与えているのだ。こうして彼女は、深く厚い書道の基礎を拠り所として、自身の独特な美学見解及び素朴で豊かな人としての素養を持ちつつ、中国の伝統的な書道という芸術から養分を吸収して、書(道)で画道を語るという書(道)と画の二つの道を一つにする大胆な試みを始めた。
この過程において彼女は、書(道)から画に入り、画を書(道)の助けとして、名言や警句をその内容とした。書道、絵画、文学が融合しあう中、それまでの伝統に新しい風を呼び、独自の絵画を創り上げるという貴重な一歩を踏み出した。婁正網は「心の書」、「心の絆」、「心の言葉」等のシリーズの創作作品の中で、中国の書道、特に狂草体による抒情と写意の特徴を十分に表し、思いのまま現代の「印象派」書道と中国の潑墨画家の墨使いのテクニックを取り込んで、中国の伝統的な書道における結字書体のルールを大胆に打ち破り、大きく奔放に構図と配置を操り、丹精に、しかし気ままに自らのライフスタイルや命、そして世界や未来へのイメージを点や画の躍動と線や筋の舞、そして虚実が共存する白黒の世界に変えていく。
そうして画でも書(道)でもあり、書(道)のようで画のような、書(道)の中に画があり、画の中に書(道)がある、互いに融合した、果てしなく絶妙な書画が創り上げられている。こうして物質を情態に変え、具体を抽象に変えることにより、形象美と抽象美が共存する作品として、造形と表意の一体化を実現し、画家の魂と書画との融合に成功している。彼女のこのような試みと探求は、専門家等から広く賞賛を得ている。
誰もが知る通り、色彩は絵画芸術の中で最も優れた、最も力を持つ要素である。中国の伝統的な絵画においても、色彩は古来より重視されてきたが、色彩の中で最も重宝されたのは水墨であった。「白を知りつつ墨を守る」「水墨至上」を提唱し、筆遣いや墨使いを通じて墨を五色に変えることを主張してきた。このようにして、墨は中国の伝統絵画における基本的な色彩となった。「筆と墨は、煙雲を描くためのものである」。このような「黒で象り」、「墨を基調とする」という伝統的な理念は千年余り続き、必然的に中国の伝統絵画のスタイルとなり、画家の心と情趣の境地の美を深めるものとなった。
しかし、「極端なものや古いものには変化が少ない」ため、少々残念ではあるが、今日では様々な画派のチャレンジを受けて、中国の多くの現代画家たちがこの伝統を否定的に省察せざるを得なくなり、益々多くの中国の画家が西洋の伝統と現代画派の大胆な色使いや強烈な色彩、色調の対比を強調するスタイルを学ぶ価値があると考え、取り入れている。
婁正網は長年に渡って「書(道)から画に入り、書(道)と画を融合させる」方法を模索すると同時に、画家という特殊な視点及び感覚から、「中国の水墨」の伝統的なジーンを持ちつつ、時代に沿った筆と墨の方向性を備え、アジア、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパなどの様々な画派の色使いの特徴とテクニックに多少の経験と斟酌を加え、僅かな偏見も持たず、それぞれのすばらしい点を取り入れて広く応用し、良さを取り入れ悪しきを切り捨て、消化吸収し、且つこれらを出発点として新たな探求を始めている。
探求の過程において彼女は、西洋の油絵における色使いの特徴を基調として、西洋の印象派、ポスト印象派、抽象派及び表現主義派の色彩を深く研究して追求し、中国のあらゆるタイプの絵画における色使いの特徴や中国の版画における黒、白、グレー三色の処理原則を参考とし、中国の伝統的な絵画において「墨が主役」となっていた色使いの習慣を打破し、「色を墨に取り入れ、色で墨を代替し、色と墨を併用して、互いに融合しあう」方法を取る一方で、中国の伝統絵画における筆や墨の格式や規範を入念に参照し、色の濃淡や滑らかさ、渇きと潤いなどを大いに研究した。
構図や色彩の豊富な変化を通じて、絵画の質感、光加減、空間感及び色調の対比を極限まで発揮させ、作品の造形力と視覚から得る力を更に強化した。これと同時に、婁正網はカラー顔料の選別においても、一つのパターンに捕らわれないスタイルを貫いている。ある程度の水墨も使用するが、水彩画、ガッシュ、油絵の原料からアクリルの化学染料までを活用し、色の作成、色使いの柔軟性と多元化を実現した。
彼女の「黄山、武陵源」を代表とした一連の山水画は、構図が清新で味わい深く、活力に満ちつつ鷹揚としており、色彩が豊富で心地よいほどに色が満ちている。彼女の「命と愛」をテーマとしたシリーズの水墨画は、豪快な色使いで色調の対比が激しく、生き生きとした中にも色彩鮮やかで、明るく美しい絵画が広がっている。専門家は皆、色使いの方面における成果が、彼女の絵画芸術を更に新しいステップへと邁進させるものとなっているとの一致した見解を示している。
二十年余りの間、婁正網は一貫して時代の最先端を走ってきた。これまで探求や刷新の足取りを緩めたことは無い。彼女は心から感じていた。「21世紀は東洋と西洋の絵画技術が対等に向かい合い、東洋の絵画芸術が復興し、その輝きが取り戻される時代となる」。この絶好の機会に中国絵画の「継承、吸収、再構築と再創造」を成し遂げることは中国の画家ひとりひとりの歴史的使命である
この使命を全うするために、ここ数年婁正網は少しの気も緩めず、精魂を注ぎ思慮の限りを尽くして、寝食をも忘れ、孜々として倦まず努力を重ね、自らの「胸中の日月」を築き上げてきた。創造上の思想においては、彼女は大きな志、大きな視野、大きな度量の気魄で、縦横二つの方面を模索し、吸収してきた。縦方向では、中国文化、中国の伝統絵画の脈と源流をより深く研究し、中国の一画家として持つべき文化基盤をたゆまなく追求し、祖先が残してきた文化遺産と伝統を堅く守って盲目的に縋ることはしなくても、闇雲に否定することもせず、自らの立ち位置と自身の芸術のポジショニングを正確に見つけ出し、且つ築き上げる必要がある。
これに関して婁正網は、中国の伝統絵画における「芸術は現実の美しさから来るものでなければならず、美しさを実現する事をその源泉とするべきである」という考え方や、「重要なのはテクニックではなく、その筆と墨にある」、「精神を描くのであり、形を描くのではない。そしてその意は筆先に宿る」、「形を似せることを追求するのではなく、その趣を求めるのだ」等の理念を繰り返し考察し、紐解いて消化し、中国の伝統絵画における法則への理解と知識をたゆまなく深め、伝統と現代の関係を整理し、自らが刷新と開拓を進めるに当たっての礎を築き上げた。
これと同時に横方向では、西洋の芸術や書画以外の芸術に対する理解を深め、幅を広げるための開拓に努力し、謙虚な気持ちで学びつつ、盲目的に崇拝せずに、触れられるものには極力触れて、吸収するべきあらゆる芸術の養分を吸収する必要がある。そうすることで初めて、外国の芸術や書画以外の芸術に対する自らの知識を徐々に深め、参考とし、超えていく能力を身に付けることができるのだ。
この点において彼女は、西洋の古典絵画における「真実を求め、事実を映し出す」という傾向と、西洋の現代絵画における伝統に対する反発やその成果に関する特徴を再度研究し、これを冷静に判断して、取捨選択した。このように全く異なる芸術を全て受け入れ、それぞれの優れた部分や「表面から内面に浸透し、偽りを取り除いて真実を残す」という「内在化」を取り入れることにより、中国と西洋の絵画芸術の間に融合点を見つけ出し、文化を越えた新しい自分自身のスタイルを築き上げ、絵画の流派を超えた審美理念と価値を創り上げている。
創作の実践において彼女は、一心に努力して視覚とその図案における新機軸を生み出すことに尽力している。即ち絵画の構成や構図における刷新を実現したのだ。まず、その構成においては東洋の「線」という書体性と西洋の「図体」という立体的な写実性を結び付けて、「図体」を引き立たせて「線」を控えめに、「点」をその間のものとして画面の構図を大胆に改造することで、作品の構成に現れる勢い、力、張力を強めている。
次に、構図全体において彼女は、中国の伝統的な水墨画を基に、西洋の様々な画派の構図の操り方や処理テクニックを消化し、吸収している。彼女が近年作成した絵画の構図は、長方形を中心としてところどころに潑墨の塊があり、その間には点や線が描かれ、明るさと暗さが混ざり合い、冷たさと暖かさが交錯する、その絵柄はまるで天に満ち、地に聳え立つようで、作品全体から魂を揺さぶられるような大きな感動と力があふれ出している。
さらに、絵画の内容において近年彼女は、「他の山の石を用いて我が玉を磨く」という原則に基づいて、中国や西洋において雲の数ほど存在する画派の特徴を取り入れることを重視しており、その探求の過程において、これまで物の形の外在性に捕らわれていたスタイルが、作品の内在的な画境をより引き立たせるスタイルへと徐々に変わり、「写意」、「抽象」、「イメージ」の意味を強調し、画家自身のソウルをより強く表すようになった。
また、所謂「情調」と「具象」の間の平衡点を探し出し、「形の美」と「精神の美」の調和と一体化を成し遂げた。これと同時に、創作の媒介と道具に関しては、いつでも試用し、発掘する試みを忘れずにいる。画仙紙も画布も、より活力に溢れたその他の如何なる材料も活用する。筆もはけも、より表現力を高めることのできるその他の如何なる道具も利用する。ただ、どのような試みよりもより賞賛される点は、彼女が様々な芸術界の束縛を打破して、大胆に絵画芸術以外の芸術からも利用できる要素を汲み取り、他のの芸術領域からも創作に当たっての養分を吸収し、取り入れ、浸透させると共に、自らの創作の世界を切り開き、拡大させているという点である。
婁正網は2005年に日本の音楽家、設計家、建築家、企業家、繊維メーカーなどと対談し、協力して大型の立体作品を発表した。これは彼女がこの方面において初めて成功を収めた試みであり、多大なる影響力を生み出した。最後に、色使いにおいて婁正網は、近年再度水墨へと回帰している。ただしこの「回帰」は、単なる「繰り返し」ではなく、全てが生まれ変わった彼女の再挑戦であり、革新である。
一筋の汗水と、一つの収穫。婁正網の絵画芸術におけるたゆまない探求と刷新は、当然ながら彼女に多くの収穫をもたらした。彼女が近年創作した作品「和と合」、「日と月」、「是と非」、「日月の心」などのイメージと自然をテーマとしたシリーズ作品は、彼女がこれらの探求と刷新を実践したことによる最新の成果であると言える。これらの作品は、独特な絵画や言葉、そして表現形式を描くことで、民族と世界、伝統と現代、現在と未来のフュージョン、力、躍動感、感性の美と思想の美を一体に表現している。これは東洋から西洋、そして東洋への回帰という変化の集大成であり、彼女はここから彼女自身の又新たな一つの境地を開拓して行くのだ。
婁正網と私は長い付き合いになるが、中でも私にとって最も印象が深く、又全ての人々が粛然として尊敬の念に打たれるのは、彼女の純粋な芸術家としての品格と風格ではないだろうか。
彼女の純粋さとは、彼女の芸術に対するこだわりとそれを堅守する心である。数十年の間、婁正網は芸術を自らの命としてきた。芸術のたゆまない昇華を追い求めるために、彼女は毅然としてまるで「苦行僧」のような「修練」の道を歩き続けてきた。休日も忘れ、祭日を惜しみ、個人としての情趣を少なからず切り捨て、自らのあらゆる趣味を犠牲にして・・・全てを芸術に注いできた。
創作の情熱とインスピレーションが降りてくると、彼女はまっすぐに創作室に篭り、夜明けまでしきりに構想し、夜とも昼とも解らず我を忘れて筆を走らせ、あらゆる苦楽を経験し、寒くても暖かくても変わらず己と向かい合ってきた。その名声が天まで届きそうになった時でも、彼女は冷静さと落ち着きを失わなかった。挫折を味わった時、誤解された時でも、彼女は寂寥と冷遇に耐え、人として品行を重んじ、人格を重んじ、品性を重んじて、無欲ながらも志し明らかに、穏やかな心で芸術を極めてきた。
その振る舞いにおいては、芸術家としての良心と本分を忘れず、偽りの名声を求めず、ひけらかさず、その身を芸術に奉げ、長きに渡って一心に取り組んできた。古人曰く「字はその人の如く、画はその心の声なり」。婁正網は正にこのような性質、個性、そして思想の境地を備えていた。そしてそれが、彼女の書(道)画芸術における刷新と成果を築き上げ、他人とは全く異なる芸術を成就させたのだ。
婁正網の純粋さは、これ以外にも中国の芸術家の一人として、中国の絵画芸術の輝かしい歴史を作り上げるという歴史的使命をいつも忘れず、終始これに従事してきたことにある。彼女は美味しいものが食べられなくても、友人と集う暇が無くても、恨み言も言わず、後悔の念も無く自らの四十数年の青春の年月を奉げて来た。使命感は絶えず前に進み、永遠に立ち止まらない動力の源泉を彼女に与え、彼女の心に広大で温かな芸術の世界を与えた。これらが中国の芸術や外国の芸術、そしてその他の芸術を公平に見る優れた眼差しを生み出し、芸術家としての豊かで大きな愛を生み出したのだ。
婁正網は芸術を愛し、生活を愛し、友人を愛し、弱者を愛し、祖国を愛し、世界を愛している。彼女は財産を惜しまず、精力を惜しまず、人の言葉を恐れず、世俗に屈さず、勇敢且つ決然と「愛」の事業に取り組んでいる。
こうして彼女の偉業を書きながら、私の脳裏に著名な詩人がある絵画の偉人に贈った詩が思い出された。この詩を是非、婁正網に贈りたいと思う。
絶頂覧罷開境界,(絶頂に立っても尚境地を切り開き、)
窮尽源流自出新。(源流尽きても自ら新機軸を打ち出す。)
敢许丹青先天下,(天下に丹青ありとするならば、)
中外画壇有此人。(世界の画壇にこの人あり)。
そして以上を序言として。
2009年12月