オークショニア、アートディーラー、キュレーター シモン・デ・プリ
皆さん、
このような機会に東京に来ることができ、大変嬉しく光栄に思います。
皆さんが生まれるずっと前の1972年、私は東京で数カ月を過ごす機会に恵まれました。上野公園にある東京芸術アカデミーで、日本画と墨絵の両方の技術を学びました。週末には横浜に行き、彫刻家の井上信道さんからアカデミック・ドローイングのレッスンを受けていました。その頃、私は画家になるという10代の夢を実現しようとしていたのです。
しかし、藝大の学生たちと接するうちに、残念ながら私は、画家としてやっていくには才能が足りないという結論に達しました。とはいえ、オークショニア、画商、キュレーター、コレクターとしてアートの世界で一生を過ごすことになったのだから、決して不満はありません。それ以来、私のアートへの情熱は衰えることなく、若い頃と変わらぬ情熱が、今も私を突き動かしているのです。
1970年代初頭、私は、その前の20年間にヨーロッパとアメリカの両方で生まれた抽象画の大きな流れに非常に感銘を受けていました。ジョルジュ・マチュー、シモン・アンタイ、ハンス・ハルトゥング、アルベルト・ブッリ、アントニ・タピエス、ジャン・デュビュッフェ、ジャクソン・ポロック、リー・クラスナー、マーク・トビー、クリフォード・スティル、アドルフ・ゴットリーブ、サム・フランシス、ロバート・マザーウェルといった画家たちの作品やテクストロジーに憧れていました。
日本や中国の筆墨作品、特に書道作品を見ていると、前述の作家の作品以上に私を魅了することを発見したのです。それが、中国の墨の技法、美しい竹の筆、豪華な和紙に親しむ興味を私に呼び起こしたきっかけとなりました。当初は、ごく自然な動きによる偶然生み出された結果によるもののように見えていたものが、実際はまったく逆で、それぞれのジェスチャーとブラシワークの飽くなき絶え間ない反復による、絶対的かつ完璧な熟練であることを理解したのでした。
今から2、3年前のこと、ニューヨークのサウサンプトンで開催された富裕層が集まる国際会議で、私はアート・マーケットについてのスピーチをしていました。ニューヨークを拠点とする若い金融家が講演後に私の元に来て、彼の友人でアートに造詣の深い人物、菊池武恭氏にどうしても会って欲しい、と話してきました。その彼の強い勧めにより、私は菊池氏に会う機会を得たのです。
菊池氏のおかげで、私はその後、婁正綱(ろうせいこう / Lou Zhenggang)という作家の作品を、初めて目にすることができたのです。そしてたちまち恋に落ちたのです。彼女の作品は生き生きとしていて、アジア的な感覚を持ちながらもその表現は普遍的で、さまざまな角度から読みとることができるものでした。高度に洗練された抽象画と見ることもできますし、同時に自然の美しさへの具象的な頌歌と見ることもできます。完璧を求める執念と相まって、彼女の卓越したテクニックは、キャンバスと同じように、紙に描かれた作品にも魔法をかけるのです。若い頃に日本に来て、私が無意識に探し求めていたものをすべて具現化してくれたアーティストがいました。
今回、来日した私は、ようやく初めて婁正綱に直接会い、彼女の作品の数々を生で見ることができ、私は以前にも増して感動を覚えています。婁正綱はアジアでは有名で、すでに10年以上にわたってアート市場で成功を収めていますが、日本やアジア以外ではほとんど知られていません。私は、婁正綱という、唯一無二の優れた才能を持つアーティストにふさわしい、国際的な認知を得る手助けができることを、願っております。
プレスレビュー当日のシモン・デ・プリ(Simon de Pury)氏によるスピーチの様子